形式的

感謝ってのは当事者がすることですよね。誰かに託すこともあるかもしれませんが、それだって「○○に代わってお礼を申し上げます」とひとこと断りますよね。


それがですよ、例えば俺がいきなり「このたび、参議院議員選挙でXが当選しました。投票していただいた皆様ありがとうございました」とか言い始めたら、俺は最低でもX候補の選対関係者、百歩譲ってX候補の後援会の人じゃないとおかしいですよね。


で、先日コンビニに行ったら、ワールドカップがらみの商品を売っているコーナーに「応援ありがとうセール」って書いてあったんですよ。そのコンビニは全然関係ないじゃないですか。当事者でもないのに、お礼を言うって、応援する方と応援される方の両方の意志を笑いながら踏ん付けるようでかえって失礼だと思うんですよ。

怒りに対する謝罪も同様で、別に悪くもない人に、しかもその件について何の責任も取りようのない人に、謝罪されると、謝られた方はものすごく傷つきますよ。「自分が困っているということを理解しようとしてくれる人なんかどこにもいないんだ、そして自分を助けてくれる人なんかどこにもいなくて、怒ってる奴を黙らせればそれで良いのだろうな」って気分になるのです。


これと、ちょっと似てるなと思ったのは、めざましテレビの占いコーナーです。ランキング形式で運勢の良い星座から順に紹介して行くのですが、毎回、最後に「最も運勢の悪い星座は、ごめんなさい、○○座です」って謝るんですよ。占いというは「何者かが決めている運勢というものがあって、それを占い師が読み取る」という建前の上に成り立っているものじゃないですか。だったらなぜ謝るのでしょう?フジテレビが決めた運勢でもないのに謝られてもねえ。これもやはり「なんか、めんどくさいから形式上謝っておけ」って話じゃないですか。*1


あるいは「この占いというのは、フジテレビが発注して創作したコンテンツです。一部の方にとって気分が良くないような結果を創作して申し訳ありません。ていうかいい年した大人が運勢とかラッキーアイテムとかアホなこと言ってないで早く仕事した方が良いんじゃないですか?」という意味を込めて謝っているのかもしれません。だとしたら、これまで娘さんたちがあえてスルーしてきた 占いの建前 をひっくり返す、正直で誠実なスタンスだと思います。

*1:フジテレビが神という可能性も残されている。