定点観察・手稲山

小説・マンガ・音楽なんかでは、古い物のスタイルを真似するという手法が普通に使われている。


発表された時点では、「古いスタイルを真似した」という意図が伝わりやすいが、ある程度時間が経過すると趣旨がぼやけてしまう。真似されたスタイルが主流だった時代も、それを真似した時代も、程度の差こそあれ、現在の視点で見ると過去であることに変わりはないからだ。両方もしくは片方の時代をリアルタイムで経験していない人ならばなおさらだ。


そういった手法を使う事は味付けのひとつであり、目的ではないということを解っている作り手は、受け手がその意図を受け取れなくても楽しめるように作っているのだろう。たとえば、山下達郎1984年に竹内まりやの曲を、1960年代のリバプールサウンド風にアレンジした。これがまたあまりに巧く再現したので、今聴くとどの時代の音楽なのか混乱してしまいそうになるが、そんな事とは関係なく、後の時代の人がどう受け止めても鑑賞可能なアレンジメントになっている。これが、単に「懐かしの〜サウンドを」みたいな作り方だと、リリース時には面白いかもしれないが、数年後には聞き苦しくなってしまうところだ。