国語が不自由

「○+○=○」みたいな表現の多くは比喩として成立していないことが多いと思うんですよ。差し障りの無いように検索でヒットしなかった例文を用意しますが、例えば「発想力+行動力=製品力」みたいな腐ったスローガンを掲げるトンチキがいらっしゃるじゃないですか。さすがにここまで酷い例はあまりないかもしれませんが、これに近いような書き方をする人がよくいますよね。


まず、なぜ加算なのかさっぱりわかりません。連中は「それは本当に足せるのか?」という疑問を持つことなく平気で足しちゃうんですよ。イノシシにエンピツを足しますか?いや、奴らなら平気で足しちゃうでしょう。これは算数や理科の前に国語の問題です。なんのアナロジーにもなっていないのでレトリックとしてまったく成立していません。


もっと罪深いのは、何でも等号で結んじゃうという点です。奴らは「共通点がある」「似ている」「連想される」「属する」「なんとなく」といったいろんな理由でもって左右を等号で結んでしまうんです。血の通った人間のすることとは思えません。これも算数や理科や図工やお遊戯の問題ではなく国語の問題です。


さっきの腐った例文で言えば

何だかさっぱり解らない能力とやはり何だかさっぱり解らない能力をどうにかして足したようなつもりになると、全く何だか解らない能力になる。あるいは似ている。もしくは共通点があるような気がする。

ということをぼやかして言っているに過ぎないのに、巧いこと言ったような気になっている訳ですよ。だったら、その製品力という謎の力からアイディアを差し引いたら行動力しか残らないのかと。


もっと腹立たしいのは「この表現の方が説得力がある」という錯覚に無自覚な人たちです。それどころか「ごちゃごちゃ説明されるよりもこの方が解る」とか抜かしやがるから始末に負えない。ばーかばーか、ペッペッ。そいつらの薄っぺらい判断なんか誤解に決まってるんですよ。解ったつもりになって、トンチンカンなことを言い出して、周囲に迷惑をかけるに決まってます。けっ。