定点観察・手稲山


洗顔フォームや洗顔石けんを単に洗顔と呼ぶのは珍しいことではないらしい。知らなかった。いや、そのこと自体には驚かない。俺が知らなかっただけって話だ。


最初に知ったのは、はるな愛の持ちネタに流れる松浦亜弥のライブMCだ。そのときは「はるな愛は、いや松浦亜弥洗顔フォームを洗顔と呼ぶのだな」としか思わなかったのだが、その後いくつかのブログやtwitterで同様の使われ方をしているのを見かけ、一般化してることに気付いた次第だ。一応「一般化はしていなくて、件のネタがきっかけで真似している人をたまたま見かけただけ」って可能性もあるが。


洗顔という言葉は「動詞+目的語」を表す漢字の組み合わせで動作を表している。同じフォーマットを持つ言葉として投石、登山、降車、観劇なんかが揚げられる。揚げてどうする。


これらの言葉には動作以外の、たとえばそれを行うための道具などの、意味を持たせる事は少なそうだ。具体的には投石機、登山靴、降車口、観劇席の意味で使われるかどうかを想像してみると良いだろう。それなのに、洗顔フォームを洗顔と呼ぶ事に抵抗がないのは何故だろう?(実際のところ俺はもの凄く抵抗あるし、むかむかするんだけど)。


その鍵は洗顔フォームの隣にある、松浦亜弥も間違えた、歯磨きにあると思う。歯磨きのように「目的語+動詞の連用形」で成り立っている言葉は、動作を表す場合(A)とその動作を行う者を表す場合(B)がある。おそらく後者が転じたのだと思うが、その動作を行う道具等を表すという用法(C)も定着している。「歯磨き」は主にAとCの意味で用いられる。「人殺し」はAとBだし、「靴磨き」に至っては「靴を磨く動作(A)」「靴を磨く人(B)」「スポンジや汚れ落し剤等の用具(C)」とABCのどの意味にも使う。


歯磨きの場合、歯磨き粉が衰退する際にペースト状の歯磨きに対するいい感じの一般名が出てこなかったことが背景にあると思う。つまり「粉じゃないのに歯磨き粉って変だよね。ねり歯磨き?いや、無理無理無理」って空気が後押ししたんじゃないだろうか。


この「歯磨き」のせいで、洗顔フォーム/洗顔石けんを洗顔と呼ぶ習慣が発生したのではないかと思うのだ。シャンプーを洗髪と呼ぶようになったら本物だ。