定点観察・手稲山

「人民の人民による人民のための政治」という言葉がある。この中の「による」と「のための」は解るんだけど、「人民の」が解らなかった。もちろん of, by, for の訳だってことは解るんだけど、「の」も「による」と同義なんじゃねえのって気がしたのだ。


疑問に思ったものの特に興味はないので調べることもなく現在に至った訳だが、今朝ふとネットで調べてみたら同じような疑問を持った人の文章にたどり着き、それを読んでやっと意味が理解できた。ここでは書かないよ。


で、ネットって便利ですねって話。最近になってようやく気付いたんだけど、ネットを使って得られる最も重要な効果は、正解そのものではなくて「同じ疑問を持って調査した人がいることが解る」「しかも正解に至ったプロセスも知ることができる」という点にあるんじゃないかと思う。よって「結果として結論が間違っていた」とか「結局最後まで解らなかった」というのも、動機とプロセスが示されていれば、それはゴミではなく重要な情報なのだ。今、当たり前のことを偉そうに言った。


ただ意図的に「架空の疑問を、捏造したプロセスで、とんでも無い結論に導く」という愉快犯がいないとも限らない。情報としてはゴミだがそういうのも大好きだ。